前回の内容
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飲食店というアナログな世界を飛び出
した黒澤氏を待っていたのは、デジタル
社会の洗礼でした。
この10年間はPC、スマホ、WEBと
いったビジネス環境の変化すらも断絶
した「虎の穴」ハードワークなローカル
環境に身を置きすぎましたので浦島太郎
状態です。
ある意味、デジタル社会の社会人1年生として
歩み始めました。
もともと音楽芸術の素養のある黒澤氏には
「感性」と「飲食で培ったノウハウ」があるので
あっという間に仕事の依頼は舞い込みます。
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当時を大竹に聞くと
(大竹談)黒澤さんは、二つの能力が
とびぬけていましたので飲食店を運営
する方からすれば喉から手が出るほど
の人材でした。
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そのような状況ですので周りがほって
おくはずが有りません。
知人を通じて店を切り盛りしてほしい
というオーダーは沢山来たのですが、
「ここでまたどこかの店長をやっても
独立した意味がない」ということで、
飲食店コンサルという道を選んで歩み
出したのです。
幾つか案件をこなす中で、黒澤氏なら
ではの問題と向き合うことになります。
コンサルなのに、なぜかクライアント
のお店で店長と同じように中に入って
やってしまう。
(すべてが出来てしまうことと、問題が
店長にあることに気づいてしまうと、
そこに入って改善をやってしまう方が
早いし、得意分野なのです。)
人の役に立ちたい。早く結果を見せたい。
という思いが強く、コンサルの契約を
飛び越えてサービスしてしまうのです。
人としての良い面があだとなって
しまい、結果的にはコンサルタント業本来の
形である、ノウハウを高単価で売るという
ことを忘れてしまい(労働+ノウハウ)と
いう形で時間の切り売り状況になって
しまったのです。
コンサル契約には期限がありますので、
いつも過酷な課題を身を削って解決しても
「ごくろうさまでした」で期間終了です。
せっかくつぎ込んだノウハウから継続して
生まれる利益はクライアントに渡して、
自分にはなにものこらずにまた新しい
クライアント探しというループ、つまり
「フロー地獄」に入り込んでしまったのです。
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これってコンサルなら当たり前と思われる
方もいると思いますが、果たしてそうで
しょうか?
この一見当たり前に思えることに疑問を持ち
仕組みを考え、「自分に帰属する権利」を
形にするのがストックビジネスを作る思考
なのです。
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話を戻します
黒澤氏本人はやりがいを感じて走っていました。
汗して、役に立ち、結果が出て喜ばれる。
これは、独立した時のイメージに近いのです。
しかし、一つだけ思惑と違ってきたことに気づきました。
「この過酷なフロー地獄も、数年間やり続け
ればどんどん状況は良くなるに違いない。」
仕事には自信があるので、そう信じて目の前の課題を
こなす毎日のなかで見える小さな灯のような感情
だったのですが、これはもろくも崩れ去りました。
今後について悩んでいたその時のことです。
ある国際的な流通グループから舞い込んだ
酒類の国内販売立て直し案件で、すごい結果
を出したことが流通グループの経営者の目に
とまり。
「黒澤さん、香港本社で飲食もやっている
ので社員になって力を貸してください」と
声がかかったのです。
えっ!また一社員に戻る・・・・
予想もしなかった展開におおいに悩んだそうです。
個人でやるコンサルのフロー地獄からの
出口を模索してところでもあり
海外経験もキャリアになる
よし思い切ってゼロからやってみようという
決心に至り新天地香港への旅立ちました。
黒澤氏、すでに独立してから3年が経過していました。
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また社員に戻るという予想もしない展開
はたして香港で夢はかなえられるのか
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